基本は学校生活です

 中学受験の塾通いが始まると、ついつい学校生活のほうが疎かになる・・・よく聞く話です。
 学校生活には、さまざまな行事はあるものの、学業に関しては、比較的淡々と学習が進められます。週に一度、成績順の席替えがあるわけでもなく、席次が貼り出されるようなテストが繰り返されるわけでもない・・・そうなると、どんどんと気持ちは塾での勉強のほうにシフトしていく・・・誰だって評価されたいし、優位に立った自分に満足もします。
子どものそんな気持ちの変化を感じつつも、親も結局はそれを咎めることなく、むしろ親のほうが躍起になって、塾での成績に一喜一憂することになる・・・そういう心理を理解できないではありませんが、やはり、それは間違っています。

最近では、塾中心の家庭が多くなり、学校生活、学校行事に非協力的な家庭、学校生活そのものに興味を示さなくなる家庭ばかりだと、小学校の先生方が嘆かれるのも無理はありません。
こういう家庭は、子どもの気持ちとは別の次元で、親が勝手に中学入学以降の我が子の理想像を思い描き、それを実現すべく、必死に塾での勉強をサポートする「将来指向型」の家庭と言えるかもしれません。
先を見つめている、と言えば聞こえは良いですが、実際には「自分が勝手に重い描いた我が子の到達点の「幻」に心を奪われているだけの身勝手な親なんですね。
こういう親は、子どもが今、どんなことで心を痛めているのか?どんな問題を抱えて暮らしているのか?など、現実の我が子を知ろうともしていない親であり、当然、本当に子どもが親の愛情を求めた時には、非常にトンチンカンの言葉かけしかできない、現実を見られない、稚拙な親と言わざるを得ないでしょう。

学校とは、決して「学業を修める」というだけの場ではありません。
学校では、子ども達はクラスの仲間と一緒にワイワイと学習したり、遊んだりする事で、みなで協力することの重要性を学びます。
そして、時には反目しあう事で、耐えたり、協調したりすることの必要性を学ぶのです。
日々の仲間との学校生活の中で、子ども達はそれぞれに楽しい思いをしたり、いやな思いをしたりしながら、多くのことを感じ、学び、そこで経験したことのすべてを自分の力に変えていくところです。
もし、学校が勉強をするだけの場所だったなら?極端に言えば、わざわざ学校に行かなくても、家庭教師と自宅を学習するだけでも、十分に学業を修めることはできるでしょう。むしろ、いろいろな意味で友人に邪魔されることなく、自分のペースで家庭学習出来るのはありませんか?
しかし、どんな国であっても、子ども達に学校での学習の義務を与えているのは、学校は「社会の中で生きていく事を学ぶ場」として、子ども達にとっての大きくて大切な環境だから、でしょう。

子どもの気持ちが、もしも「塾中心」になっていったとしたら、それを食い止めるのが親の役目です。
そして、学校というものの意味を説き、学校行事やクラスの中での活動を含め、学校生活を大切に過ごさなければならないことの意味を、しっかりと教えてあげてください。
あくまでも、基本は学校生活、なのですから。

▲上へ

リンク